りっぷんちぇんしん

“りっぷんちぇんしん” …台湾の言葉で「日本精神」。日本人の本来持っている素晴らしい心を取り戻して、日本人として胸を張りませんか?

5;私の父親のこと…(錺職人「かざりしょくにん」)

今回はブログのテーマから外れるのですが、私の父親のことをアップいたします。

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熱田神宮(本文とは関係ありません)



                 

父親の仕事は御神輿や、神社の飾りを作る「錺職人」でした。朝は早くから、夕方に酒を飲んでまた夜遅くまで仕事をしていました。

自宅の一室が仕事場で、いつも金づちで「トントン」とリズミカルな音が響かせながら、金属の板に彫金していました。

しかし、いま思えば、父親にとんでもない思いを持っていたのです。幼い頃はスーツを着たサラリーマンがカッコよく見え、友達のお父さんを羨ましく思っていたのです💦。

ビシッと決めているお父さん…に対してうちのお父さんはいつもヨレヨレ😰。こんな思いがありましたね。

やっと、ようやく今になって父親の凄さに気づきました😆。

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 父がお世話になっていた、浅草「宮本卯之助」HPより

 

お神輿、神社の飾りを作る…錺職人

錺職人ってなに?

 上の写真で、お神輿の周りに金色に輝く飾りを作る職人です。材料は「真鍮(しんちゅう)」。

最初はこんなに輝いていません。どう処理するのかはわかりません

が、しょっちゅう真鍮の板にガスバーナーの炎を当てていたのはよく覚えています(母から聞いた話ですが、バーナーのホースが元栓から外れ、引火した炎が私の目の前をボーッボーッとなった恐ろしい記憶があります💦。ぬいぐるみがチリチリになっていたな😱)。

その後、鑽(たがね)を金属に当て、金づちで叩くことで模様をつけてゆくという仕事をしていました。

彫金をしているときにはイメージは頭にあったのでしょう。

設計図らしきものは全くありませんでした。

上の写真の出所である「宮本卯之助商店」さんからよく注文の電話がかかってきて「〇〇が1尺ね、こっちが4寸ね」とかいう会話をしょっちゅう聞いていました。

それを聞いて、メモするだけでした。

お神輿の他、神社、仏壇の飾りを作っていました。

また当時、東京都内で同じ仕事をしている人は5人ほどしかいないとも聞きました☹️。

 

仕事をしている時の父親

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仕事中の父親

 彫金している時の写真です。

左手に鑽(たがね)、右手に金づち。

鑽は1,000本くらいは少なくともあるとは言ってました。

その鑽で刻まれる模様がそれぞれ異なります。それを全部、自作し

ているとも聞きました。それぞれにどんな模様があり、どの鑽がそうなのか…全てわかっていたのだからスゴイなと😆。

もちろん鑽に番号などは付していませんでしたから…。

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鑽をつかって彫金している様子

 この写真のように金づちでトントン、トントン…。

日によっては深夜までやっていました。

住んでいたのは住宅街だったのに、近所からのクレームは無かったです。それは小刻みなリズミカルな音が心地よかった…これは間違いないと思います😆。 

 

そんな父も、平成4年の正月に64歳で突然にこの世を去っていきました。なぜこの仕事を選んだのか…学徒動員で軍需工場にいたものの終戦直後に全く仕事がなく、たまたまこの業界の人に声をかけられてたからと言っていました。父もこの仕事に憧れがあったわけではなく、メシを食わせてもらえるならと、くっついて行っただけのようです😂。

また終戦の8月に米軍の落とした焼夷弾の空ケースが頭に直撃し高熱が続いたようで、しばらくの間なにも考えられなかったとも言って笑ってました。

(もちろん焼夷弾のケースは直撃でなく、電線に一回バウンドして父の頭に落ちたそうです😱)

 

いま思うこと

 そんな父もよく、休みやお正月には自転車であちこちの神社に連れて行かされました。そう、「行かされた」のです😅😅。

全く神社や神仏なんか興味ない…、ましてや神社や寺なんか「古くさい❗️😤」と思っていた頃ですから😅。

ルートは決まっていて、今は有名な東京都北区の「赤羽八幡神社」から落語で有名な「王子稲荷神社」(怖かったなぁ…)、「王子神社」と回っていました。

声かかるたびに「また行くの〜😭😭」の気持ちが。

たまには遠出で、群馬県赤城神社へ。(ここ、父の作った飾りが付けられていたと、後日母から聞きました。)

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群馬県 赤城神社

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もしかしたら、父の作ったものかも…

 その後大学へ進学。もちろんミッション系。キリスト教の宗教曲を歌うクラブに入り、オペラにお金をつぎ込み…。

そんな私に父は何一つ言いませんでした。どう思っていたんだか…。

 

しかし!父が亡くなって25年…ようやく日本の神様、教え、神社の良さに気付きました(お前、遅ぇ〜やい!と、父は言っているでしょう😅)。

父が蒔いてくれたタネは時間がかかりましたが、ようやく発芽しました(やっぱ、遅い😅😅❗️)。当時はお詣りするだけで、全くなにも教えてくれませんでしたが、なにも言わない中にも空気感を伝えてくれた…と今は思います。

そのお陰で、今はYouTube 神社チャンネルの「ゆにわ塾」で神社のこと、これからの生き方を学んでいるのだと…。

また志を打ち立て、日本人の精神性を復活させたい…なんぞに繋がっているのですね。父も「そこまでぇ〜、やるんかいオメェは!」と驚いているでしょう😂。

最後に…

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真似事をしている幼少期の、わたし😂

この時点で父は私が職人には向いてないと判断したようです。

(ハイ、手先は最高の不器用デス😂😂)

それと…

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父が作った表札

サビに錆びついた表札を息子が磨き上げ、修復しました!

(父が亡くなって3年後に生まれた息子は手先が器用で、おじいちゃんに会いたかった〜といつも言っています。父が生存していたら間違いなく息子は父の弟子になっていたでしょう😊)

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました‼️

日本をかっこよく❗️